このように、何かにつけてジェンダー平等をめぐる議論に巻き込まれるものの、ピーターソン氏の思想は、もっとはるかに広大な領域を覆っている。実際、先のBBCの番組に出演したのは、著書『生き抜くための12のルール――人生というカオスのための解毒剤』のPRが目的だった。

 インタビュー内容とは違い、この本には政治的な色合いはほとんど含まれていない。かといって巷にあふれる自己啓発本ともまったく異なり、歴史、哲学、宗教などの膨大な知識にもとづいて論が展開されていく。

 そもそもピーターソン氏の研究の原点は「全体主義が生んだ『暗黒の20世紀』を繰り返さないためには何を心がけるべきか」だった。人生は本質的に困難で惨めなものである、と同氏は考える。ともすれば、生きることの虚しさに耐えきれず、心が空洞になる。そこへ、安直なイデオロギーが入り込む。したがって、そうした悲劇の再発を防ぐには、めいめいの個が凜として立ち、自己の人生に責任を負うべきだ、との結論に至る。

 ただし、各自がそのような重荷を背負って踏みこたえるためには、揺るがぬ拠り所が必要だろう。そこでピーターソン氏は、太古から現在にいたるまでの人類の遺産をひもとき、堅牢な原則を導きだそうと試みた。聖書やインド神話、道教などに込められた意味を解明し、ユング、ニーチェ、ゲーテ、ドストエフスキーらの著作に学び、さらにはディズニー映画やアニメ作品まで俎上に載せた。そうして得られた英知の結晶を一般向けに読みやすくまとめたのが『生き抜くための12のルール』というわけだ。

 著者の話題性と内容の奥深さが相まって、同書は世界50カ国で計400万部を突破。日本でもついに刊行の運びとなった。

 ピーターソン氏が思い描く理想の世界は、オーケストラ音楽に似ているという。個々の楽器が自由に振る舞いながらも、最小限の共通ルールが守られることによって、美しいシンフォニーが生まれる。

 各個人が、一定のルールに従いつつ、いかにして自他に恥じない有意義な人生を送り、周囲とハーモニーを織りなすか――それは、災厄に襲われた今年、私たちが日々直面している課題でもあるだろう。