皆さん、「翻訳について語る本」と聞いて、何を想像しますか? 英文和訳の指南書でしょうか? 翻訳者の苦労話(自慢話)でしょうか? 誤訳指摘の本でしょうか? 外国文学の影響をうけた作家の研究でしょうか? 翻訳の歴史を紹介する本でしょうか?

『翻訳の授業』のメインテーマはそのいずれでもありません。私の関心は、ずばり「翻訳論とは何をどのように論じる分野なのか」というところにあります。上に例をあげたように、翻訳についてのイメージが人によってばらばらだということ自体が、はしなくも翻訳論が何をどう論じる分野なのかを、はっきりさせる必要性を物語っています。そして、私の本はまさにそれを行おうとしているのです。

「何を論じるか」というのは一口で言いにくいので本を読んでいただくとして、「どのように論じるか」についてはもっと単純です。

 翻訳の方法といえば、「直訳」と「意訳」という言葉が直ちに浮かんでくるのではないでしょうか。二千年前のローマ時代からこのような区分が意識されていましたが、翻訳論の悲しいところは、この区分がいまだに用いられ、しかも論じる道具としてほとんどそれしかないというところにあります。私は『翻訳の授業』の中でこの区分を超越する視点を提案しています。

 つまり、この本は翻訳論に革命を起こそうとしているのです! 歴史を作るのか、はたまた大ぼらか? いずれにせよこんな面白い見世物はありません。ぜひご覧いただき、皆さまもご一緒に考えていただけましたら幸いです。

 用いた材料は『源氏物語』、三島由紀夫の短編、村上春樹の『ノルウェイの森』の英訳、『トム・ジョーンズ』や『ライ麦畑でつかまえて』の日本語訳などに加えて、私自身の『ホビット』も取り上げています。翻訳の実践と研究が一体化している例をごらんいただきたかったからです。

 英語で卒業式のことをinauguration ceremony といいます。文字通りには、「はじまり」という意味です。私の「最終講義」はinauguration lecture、つまり「はじまりの講義」だったと言えればいいなと願っています。