『夜を彷徨う 貧困と暴力 沖縄の少年・少女たちのいま』
朝日新聞出版より発売中

 13歳の女の子2人組と会ったのは、2017年12月23日、夜のファミレスだった。1人は年の離れた妹を連れていた。支援者も含め、5人で遅めの夕食を取り、2人から話を聞いた。女の子たちは長いこと不登校になっており、1人はここ何日か姉妹の自宅に寝泊まりしていた。姉妹の母親はキャバクラで働いていて朝まで不在だった。

 女の子たちに2度目の取材の約束を取り付け、支援者と2台の車に分かれて3人を送った。姉妹の自宅がある郊外の集合住宅に着くころには妹は寝入ってしまっていた。姉、友人、妹をだっこした支援者の順に、上階に向かって階段を上る。私は4人と少し距離を置いて後をついていった。

 4人が入っていった一室の前に立つ。半開きのドアには、引きちぎられたような金属製のドアチェーンが無造作にぶらさがっていた。

 ドアの隙間から部屋の中に目をやる。床には、網状のフード部分がべっこりとへこんだ扇風機が転がっていた。ドアチェーンも扇風機も、姉妹の母の彼氏が暴れて壊したものだった。ファミレスで姉が話した通りの光景が広がっていた。

 どれほど暴れればドアチェーンを壊すことができるのだろう。そんな男は女性や子どもに手を上げる時だって手加減などしないはずだ。突っ立ったままぼんやりと考えた。

「この現実をどうする? 新聞記者はどうやったってみんなエリートだ。あなたたち記者は、子どもたちの置かれた状況を見ていない」

 沖縄の風俗業界で働く少女たちや、若年で出産した女性たちの聞き取り調査を行い、ケアに心を砕く研究者から突きつけられた言葉を思い起こす。その言葉に押されるようにして始めた取材だった。だが、暴力の跡を目の当たりにして、私はすでにおじけづいていた。

 頭は「ここからすぐに帰ろう」と言っている。自然と足が階段に向くが、「何も言わずに帰るのは失礼だ」といったん部屋の前まで引き返す。支援者になんと言い訳したらいいのか。ひとまず「とても繊細な話なので、記事化するまでにお時間いただくと思います」と言ってみよう。ありとあらゆる言い訳の言葉を考え、長い廊下を行きつ戻りつしながら支援者が部屋から出てくるのを待った。

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