プーチンとは一体何者なのだろうか――このテーマに私が正面から取り組みたいと考えたのは、2013年。朝日新聞のモスクワ支局長として赴任することが決まったときのことです。

 モスクワで勤務するのは、2005~08年に次いで二回目でした。前回の勤務では、プーチンが連続二期八年の任期を終えて、腹心のメドベージェフ(現首相)に大統領の座をバトンタッチするところまでを見届けました。そのプーチンは、私の赴任を前に、私を待っていたかのように、再び大統領の座に戻っていたのです。

 2012年の大統領選の直前には、当時朝日新聞主筆だった故若宮啓文氏らとの会見に応じ、日ロ平和条約問題を「引き分け」で解決しようという考えを表明しました。本書で詳しく描いたように、私はこのとき若宮に同行して、プーチンの様子を間近に見ていました。

 会見には若宮のほか、ドイツ、フランス、英国、イタリア、カナダの記者が参加。プーチンは「西側」の代表六人から迫られたのですが、補佐官やメモに頼ることなく、どんなに厳しい質問にも余裕で応じる姿に舌を巻きました。日本にこんなことができる政治家はまずいない。

「プーチン」という名前を日本で知らない人はいないでしょう。一方で、彼がどんな人物なのか、その素顔に触れた人も、ほとんどいません。読者の興味を引く上でも、「有名」でなおかつ「実態が不明」という条件は、取材対象として申し分ないように思われました。

 そうはいっても、プーチンやプーチン政権下のロシアについては、すでに多くの分析が出ています。研究者だけでなく、ジャーナリストによる著作も少なくありません。そうした中で、どこに独自性を求めるか。

 悩んだ末に思いついたのが、プーチンを直接知っている人たちへのインタビューを集めるという手法でした。

 本書の中でも多く引用している、2000年に出版されたプーチンのインタビュー本のロシア語原題『От Первого Лица』には、「一人称で語るプーチン」という意味があります。これに対して、いわば「三人称で語るプーチン」を書いてみようというのが、取材を始めたときの私の心づもりでした。

 近年、ネットであらゆる情報が手に入るようになっています。その気になれば日本にいながら、新聞やテレビが報じないような細かいロシアの情報をリアルタイムで入手できる。自動翻訳の精度が向上し、言葉の壁も急速に低くなっています。海外特派員にとっては難しい時代です。

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