昨年の夏、あるテレビ局で放送された腰痛の番組の監修に携わった。慢性腰痛(3カ月以上の腰痛)の85%は原因がわからない特発性のもので、その治療法として世界的に脚光を集めているのが、切らない腰痛治療「認知行動療法」である、という内容だ。

 ある程度は想定していたが、番組が放送された翌日から、福島県立医科大学病院には多くの問い合わせの電話がかかってきたという。多くの患者さんが慢性腰痛に悩み、救いの手を求めているのを再認識した。

 人類は立って歩き始めたときから、腰痛という症状があったはずである。とはいえ、腰痛をこじらせれば、動かなくなり、痛みそのものや痛みに対する不安や恐怖のため、今までのような日常生活を送ることが難しくなる。休職や転職を余儀なくされるケースもあり、社会的な損失も大きい。

 画期的な腰痛治療「認知行動療法」は、痛みを局所の損傷の問題だけにするのではなく、痛みを感じる脳を含めて考え、さらには痛みに対する受け止め方(認知)に目を向け、全人的に治療を進めていく。

 この一見、アナログに見える認知行動療法が注目される背景には、脳科学の進歩がある。痛みと脳の関係の一端が研究で明らかになってきたのだ。なかでも、脳の姿だけでなく、その機能まで測れるMRI(磁気共鳴断層撮影)の登場は画期的だった。

 研究の結果、慢性的な痛みがある患者では、脳の中心灰白質という脳の外側の血流が下がり、DLPFC(背外前頭前野)や側頭葉、島、扁桃体、海馬、帯状回といった部分に脳の萎縮が見られた。DLPFCは痛みの情報を受け取った脳が興奮するのを鎮める部分、側頭葉は言語や記憶、聴覚にかかわる部分であり、島は“やる気ホルモン”とも呼ばれるドーパミンの分泌に、扁桃体は情動と記憶に、海馬や帯状回は記憶に関係する。我々が2009年に実施した研究でも、慢性腰痛の患者は一般の人より痛みを感じやすく(痛みの閾値が低い)、脳にある“やる気”に関わる側坐核の活性が低下していた。

 13年のカナダの研究では、痛みで減少していたと思われる中心灰白質の体積が、認知行動療法をした後に部分的に回復していることがわかった。それまでも認知行動療法の有効性は経験的には認識されていたが、この研究で科学的にも証明されたわけである。この意味は大きい。

 認知行動療法は、精神科医や臨床心理士など、心理療法の専門家が患者と膝を突き合わせ、患者との会話や身ぶりのなかから、脳の錯覚、つまり痛みに対する考え方(認知)の誤りを見つけ、それを患者自身に気付かせながら、自主的に認知や行動を変えさせるという方法である。当科ではまず、患者に我々が考案した「BS―POP(Brief Scale for Psychiatric Problems in Orthopaedic Patients)」というテストを受けてもらい、認知行動療法が有効な慢性腰痛か鑑別する。また治療では、認知や行動の間違いや、修正の過程を患者自身が客観的に見られるよう、「ストレス日記」という手法を用いて治療を進めることが多い。行動やそのときの気持ちを書きしるし、後日改めて内容を確認してもらう。それによって本人が気付きやすくなる。

 慢性腰痛で悩む多くの患者は、「腰痛を治すには安静にしていたほうがいい」「怖いから腰が動かせない」と勘違いしている。実際、診察でも「1日中寝ている」「動けないから車いすを使っている」と訴える患者が少なくない。もちろん、ぎっくり腰(急性腰痛症)など、結果としての安静が必要な場合もあるが、それは治療を意味するものではない。慢性腰痛にとって安静は、腹筋や下肢の筋力、腰回りの血流の低下などをもたらし、気分も落ち込み、負の連鎖を起こして、腰痛の悪化につながる。慢性腰痛に安静は不要ということは、いまや我々整形外科医の間では常識で、欧米や日本の診療ガイドラインでも、治療としての安静を推奨していない。

 一概には言えないが、慢性患者の多くは痛みを「表現」することで、「自己主張」する傾向がある。家庭環境や性格的な背景もあるが、限界まで人に尽くし無理をする。そのなかでケガや病気をきっかけに、「痛みを訴えると、周りが気遣ってくれる」と意識下で学んでしまう。だから本来の原因であるケガや病気が治っても痛みから逃れられない。

 認知行動療法は、認知や行動という「本人が変えられる」部分を修正することで、意識の奥の深い部分を変えていく。このため、慢性腰痛に限らず、慢性疼痛やうつ病、摂食障害などの治療でも役立っている。本書により、慢性腰痛の患者さんが認知行動療法で腰痛が解消されることを、心より願っている。