現地の人の家に呼ばれ、お茶や食事をごちそうになり、そのまま泊まってしまう。イスラムの国々で、そんな勝手気ままで、ずうずうしい旅をかれこれ20年続けてきた。

 こんな非常識きわまりない、普遍性も何にもない旅の話が、果たして一冊の本になるのだろうか。いざ書くとなった時、はたと途方にくれた。それでも気づけばなんとか出版されようとしている。人生、意外となんとかなるもんだ。
「イスラムの国は危ない」これが大方の見方だろう。私も実際、行ってみる前はそうだった。

 初めてイスラム圏に足を踏み入れたのは、インドネシアだった。大学を休学して半年の間旅をした。なぜインドネシアだったかは、本書をお読みいただこう。大学に入るまで友人が全くいない内気な性格で、そんな自分を変えるには、知り合いがいない外国の地を一人で旅するのが手っ取り早いだろうと、安易に考えたからだった。

 バスや市場で現地の人と知り合うと、必ずといっていいほど言われた。「一人? 家においでよ」。こうしてホイホイ誘われるままに家に呼ばれているうちに、いつしか「人の家に行く」イコール「旅」みたいになっていた。

 大学卒業後にOLになり、その会社を3年でやめて、また旅に出た。写真のテーマを探すという名目で、アジア・アフリカを放浪した。その途上で多くのイスラムの国々を訪れた。そして再び、おせっかいで、得体のしれない温かさにあふれる人たちに出会うことになる。

 パキスタンで喫茶店に入ると、きまって「金はいらない」と言われる。エジプトで道を聞けば、目的地までわざわざ連れて行ってくれる。シリアの町中で地図を広げていると、「どこに行きたいんだ」と人が寄ってくる。たまたまおじゃました家で、「この家に1ヶ月くらいいれば?」と言われたこともある。

 イスラムの人の親切さ、懐の深さは、もはや尋常ではない。見ず知らずの人の家に泊まったことも数しれず。

「危険じゃないのか? 悪い人だったらどうする?」

 と言われるが、善意から誘ってくれる人が99%だ。何しろイスラムの人というのは、来世と神の存在を100%信じている。「良い事をしたら天国に行く、悪い事をしたら地獄へ行く」ということだ。イスラムの国で凶悪犯罪が少ないのは、このためだ。「悪いことをしないのは、警察が怖いからではない。神を恐れるからだ」とも言う。

「女がイスラムの国を旅するのって、大変なんでしょ?」

 これもよくある誤解である。

「女性は宝物」これがイスラムの教えだ。バスで立っていると、自分より明らかに年上の男性が席を譲ってくれようとする。「宝物」はやたらめったに人前に出すものではないから、女性は髪や肌を隠すのである。

 何より女には、イスラムの国を旅する上でアドバンテージがある。イスラムの国では、学校も結婚式も男女別。外国人男性は女性の場には入れないが、女性なら男女双方の場に入り込めるチャンスがある。こうしてイスラムの国の旅にハマる女性は、私の周りでは数多い。

「イスラム女性は抑圧されている」というイメージが日本にはある。大変なのは、むしろ男性の方だ。イスラムの教えでは、家計はすべて男性の負担だ。妻の給料の方が高くても、である。パキスタンの働く女性に話を聞いたことがあるが、異口同音に「自分の稼いだお金はぜんぶ自分のもの」だった。それで趣味の絵を買ったりするのである。

 イスラム世界を旅して実感するのは、宗教と人々の暮らしが禁欲とは正反対ということだ。「断食や婚前交渉禁止じゃないの?」と思われるだろう。断食で食べていけないのは、日が出ている間だけだ。そして断食明けの食事では、普段以上のごちそうが並ぶ。

 男女の交わりについても、禁欲は結婚前だけ。結婚したら夫婦生活を多いに楽しめとイスラムでは教える。そのために必須なのがセクシー下着だ。町には既婚者向けのランジェリーショップがあふれている。新婦が自分で買う場合もあれば、女性の家族、また結婚する相手の男性の母親が買い与えることも少なくない。

 つまりイスラムの禁欲とは、あくまで条件付きだ。そしてこのつかの間の禁欲があるからこそ、禁欲が解けたとき、大いに盛り上がる。性についてのやましさはない。だから新婦は赤いスリップ姿で平気で(女性の)客を迎えるし、夫とのイチャつきぶりを顔を赤らめながらも楽しげに話す。

「実はそうだったのか!」という驚きや感動をもっとも味わえるのが、イスラムの国々だ。「さて次はどこに旅に出かけよう?」と思ったとき、やっぱりイスラムの国に目が行ってしまう。もはや麻薬だ。