安倍政権は7月1日、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行った。

 政府は従来から、憲法九条の下で許容される自衛権の発動については、(1)我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)が存在すること、(2)この攻撃を排除するため、他に適正な手段がないこと、(3)自衛権行使の方法が、必要最低限度の実力行使にとどまること、の三要件に該当する場合に限定してきた。そして、たとえ日本と密接な関係にある外国が武力攻撃を受けた場合でも、自衛隊が集団的自衛権を行使してその武力攻撃を阻止することは、「わが国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)が存在すること」という自衛権発動の要件を欠き憲法九条に違反し許されないというのが、これまでの政府の一貫した見解であった。

 憲法は、国の基本的なあり方を定める最高法規であるから、憲法96条は、改正の要件を、(1)各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、(2)国民投票でその過半数の賛成を得なければならないとして、一般の法律より格段に厳格な手続きを定め、国会や国民の間で充分かつ慎重な審議が尽くされることを要求している。

 このような厳格な憲法改正の手続きを回避し、閣議決定で集団的自衛権の行使を認めてしまうことは、立憲主義をないがしろにする独裁的なやり方であるといわねばならない。今回の閣議決定は、これまでの政府見解を180度転換させて、わが国が攻撃されていないにもかかわらず、自衛隊が海外で武力行使する道を開くものである。

 しかしながら、ここで落胆していてはだめだ。

 具体的に集団的自衛権を行使するためには、自衛隊法をはじめとする関連法案の改正が必要となる。また、年末に予定されている日米防衛協力の指針(ガイドライン)の再改定では、集団的自衛権を踏まえた再改定が行われる可能性が強い。したがって、これらの関連法案やガイドライン再改定に反対する運動に取り組む必要がある。

 では、安倍政権の暴走をストップさせ、憲法改悪を許さないためには、どのような運動が必要だろうか。運動で「勝つ」ことはできるのか。これが『「悪」と闘う』のテーマでもある。

 まず、政治的・イデオロギー的立場を超えて運動を広げる必要がある。キリスト教徒も仏教徒も無宗教者も、自由主義者も社会民主主義者も共産主義者も、保守も革新も、平和憲法を守るために、政治的・イデオロギー的立場を超えて手をつなぐことが重要である。「同質の集団の集まりは『和』(足し算)にしかならないが、異質の集団の集まりは『積』(掛け算)になる」という運動の格言がある。

 次に、運動を一回りも二回りも広げていく工夫が必要である。リベラル勢力の中には、正しい情勢分析と正しい政策が打ち出されていれば、運動は自然と広がるという幻想がある。しかしながら、正しい情勢分析と正しい政策だけでは運動は広がらない。無関心層とりわけ若い人たちに、どうすれば憲法問題について関心を持ってもらえるか運動の工夫が必要である。尖閣諸島などをめぐる領土紛争を契機として、国家主義・ナショナリズムに絡めとられる若い人が増え続けているからである。

 さらに、一般的な護憲運動だけでなく、憲法の保障する基本的人権を実質化させ、社会に定着させる運動が必要である。たとえば、学校教育の中で、生存権を保障した憲法25条については、生活保護の申請の仕方を教えるべきだし、労働者の権利を定めている憲法27条や28条については、労働基準法や労働組合の作り方、団体交渉の仕方などを教えるべきだし、集会・結社・表現の自由などを保障した憲法21条については、デモのやり方、集会のやり方、ビラのまき方を教えるべきである。
 憲法12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と定めている。権利は与えられるものではなく、闘い取るものである。

 安倍政権が暴走する中で、憲法に対する国民の関心が高まり、集団的自衛権行使に反対する世論も広がってきている。
 憲法改悪の動きはピンチではあるが、あらためて憲法の立憲主義の理念や国民主権・基本的人権の尊重・恒久平和主義の原理を日本社会に定着させるチャンスでもある。

 ピンチをチャンスに変えることができるかどうか、わが国の市民運動・平和運動の力量が問われているのである。

 私たち一人ひとりは微力ではあるが、決して無力ではない。「微力」と「無力」は決定的に異なる。無力はいくら集まっても無力であるが、微力は集まれば集まるほど社会を変える大きな力になるのだ。

 闘いはこれからである。