ネットで「倍暦」を調べたが、出てきたのは「二倍年暦」という古代史の仮説で、『古事記』や『日本書紀』の天皇が百歳を超えることの説明になっている。

「倍暦って本当に存在するんですか」「あたしだちの魚見島では昔からそうと決まっとる」 魚見島もネットでは見つからなかったと言い出しかねた。「倍暦は天皇と海女をつなぐ一本の糸なんですね。その糸をたぐりよせると、壮大なイメージが浮かび上がります」

 戦前に海底の山々が発見されて、アメリカの学者が戦後間もなく天皇海山という名前をつけた。

「ミツルさんはその命名に『この学者の何か胸の温かさのようなもの』を感じ、『敗戦国の天皇』の、『国民の屍ば背負うた命』に思いを馳せます」「そげな大げさな」「いえいえ、三人の兄を海戦で亡くした海女の等身大の視線が、歴史を日常と地続きのものにしています」「海も山も、水さえなければ地続きじゃ」「さすがミツルさんの言葉はスケールが大きいですね。『海の水は人間の業に似ておる』というセリフも好きです。業は深くて、恐ろしくて、美しい。例えばこんな描写」

 私は読み上げた。

<この重い波の蓋をめくると、岩場あり、谷あり、砂地あり、赤や黄の珊瑚礁ありで、小鯛の泳ぎ織りなす海、月もない闇夜の海、沈んだ艦船で埋まった残骸の海と、同じ景色は一つもない。>

「ミツルさんは、お友達の小夜子さんと、沈んだ潜水艦に線香を手向けに行くんですよね」「船に魂が宿らんでもない」「沈んだ艦の話は本当ですか?」「おお、事実じゃで。地元のテレビにも出たぞ」「それで、ミツルさんが潜って、見つけた潜水艦たちは『赤、青、黄とりどりの貝類・藻類を鉄の船体に纏うて、大きな魚礁を広げてい』た。

『満身牡蠣殻藻類珊瑚海百合』の怪物、という言い回しが繰り返されると、読んでいるこちらも『窒素酔い』になりそうです」「いや、あれらは鯨じゃったかもしらん」「そういえば、お孫さん夫婦に赤ちゃん誕生、ですよね。お嫁さんの美歌さんとは気が合うみたいですね」「美歌は腹が据わっておる。孫と同じ水産学校の出じゃが、海女の暮らしにすぐ馴染んだ」「で、小説の季節が春の彼岸から秋の彼岸に移ろいゆくのに従って、お嫁さんの美歌さんのお腹に宿った命が成長していく。昔の海女が船でお産をした話、腰にズシンと来ました」「あたしは潜水艦たちのほうへ行ってしまったが、代わりにひ孫が生まれてくれた。ありがたい」

 ありがたいと繰り返しながら、ミツルの輪郭は徐々に薄れていった。海へ潜ったのか、それとも天に昇ったのか。後に芋饅頭を包んでいた風呂敷が残った。