『カード師』 中村文則著
朝日新聞出版より発売中

 ドストエフスキーが『罪と罰』と同年(1866年)に発表した長編小説『賭博者』は、ドイツの架空の街ルーレッテンブルグを舞台に、ルーレット賭博によって身を滅ぼしていく男を描き出している。主人公アレクセイは言う。「ぼくのなかに、ある種の奇妙な感覚が、運命への挑戦とでもいおうか、運命の鼻を明かしてやりたい、運命にべろを出してやりたいという願望が生まれた」(亀山郁夫訳)。知略を必要とする他のギャンブルとは異なり、ルーレットの勝敗を決定づける要素はただひとつ、運だ。だが、だからこそ、運命の存在をより強く実感することができる。

 ドストエフスキーをリスペクトするのみならず、偉大なる先人と本気でタイマンを張り続けてきた作家・中村文則は、最新長編『カード師』において『賭博者』を対戦相手に指名した。最初にして最大の難問は、運命なるものを感知する存在を、どのような人物に設定するかだったと思われる。中村が出したアンサーはこうだ。賭博者たちの運命を操作可能な立場にいる、カード師を主人公に据える。

 正確な年齢は明かされないが40歳前後であることが確定的な「僕」は、まずはタロットカードを商売道具とする占い師として登場する。仕事場として借りた東京の高級マンションの一室を出たところで、英子という旧知の女性と対面。「まさか、私達から逃げたわけじゃないでしょ?」。差し出されたスマートフォンの画面に映る男の「占いの顧問」になり、聞き出したことを全部自分に伝えろと言う。<この男はよくない。僕は思う。関わらない方がいい人間>。しかし、断ることができない。脅迫とも取れるアプローチで英子が投げつけてくる言葉の断片から、「僕」の複雑な生い立ちと素性が匂い立つ。

 次いで「僕」は古びたマンションの一室に赴き、違法ポーカー賭博のディーラーとしてテーブルに着く。ゲームは、テキサス・ホールデム。各プレイヤーにカードを二枚ずつ配り、その後ディーラーが一枚ずつ、最終的に三枚開示するテーブル上のカードと組み合わせ、役を作る。<人が破滅する瞬間には快楽がある>。ましてや自身のイカサマにより、賭博者たちの運命をコントロールできる立場にいるのだから、快楽の質は格別だ。手技あるいは指技に独特の官能が宿ることは、著者の代表作『掏摸』において証明済みだ。官能の理由は、人間にとって手という器官が、「選び取る」という動作=意志と紐づいている点にある。本作の主人公が選び取り、めくるカードにはあからさまに、特定の比喩が重ね合わされている。そう、運命だ。

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