リビアで市民の抗議行動が始まった2月、シリアでは、南部の地方都市ダルアで、数名の中学生がスプレーで街の壁に落書きをした。「国民は体制打倒を欲す」「次はお前の番だ、ドクター」(「ドクター」とは、大統領就任以前、医師をしていたバッシャール・アサド大統領の渾名だ)。テレビのニュース映像でチュニジアやエジプトの革命を観て触発された10代の子どもたちの、政治的意図など微塵もない悪戯に過ぎなかった。だが、当局は容赦しなかった。子どもたちは逮捕され、獄中で拷問される。これに抗議する市民のデモに対し治安部隊が発砲、抗議のデモは首都ダマスカスをはじめシリア各地に広がっていく。

 リビア同様、政府軍は民主化を求める非暴力の市民デモを無差別に攻撃した。デモのたびに参加者が殺傷され、大勢の市民が逮捕・拘留された。そして、13歳の少年が獄中で拷問死するに至って、市民は体制打倒を掲げ、シリアは今に続く流血の内戦へと突入していく。政府軍、反政府軍の双方が、それぞれを支援する諸外国から資金や兵器の援助を受け、アル=カーイダやISも参入し、シリア内戦は「内戦」の域をはるかに超え、その破壊と殺戮の規模は際限なく拡大していった。市民生活は破壊され、歴史あるアレッポの街をはじめいくつもの都市が戦闘で瓦礫の山と化した。かつて世界に離散するパレスチナ難民の文化的首都と謳われた、ダマスカス郊外にあるヤルムーク難民キャンプもISによる占領や政府軍による攻囲など度重なる攻撃の結果、廃墟となってしまった。

 内戦前のシリアの人口は約2200万人。内戦で国民の半数以上が自宅を追われた。国外に渡った者は500万を超える。トルコやレバノンなど隣国に逃れた難民たちは、2015年になると、満杯になったコップの水が溢れ出るように、地中海を渡って対岸のヨーロッパを目指すようになる。内戦が始まって四年間、ダマスカスにとどまり、激しさを増す戦闘をなんとか耐え忍んでいたユスラと姉のサラも、この時期、意を決してこの流れに合流する。

 人知れず地中海の藻屑と消える難民たちも多数いるなか、二人は、その勇気ある行動でかろうじて九死に一生を得て、ギリシャの島に辿り着く。本書前半のクライマックスだ。ヨーロッパを目指して地中海を渡る難民たちについては、この間、何本もの映画が作られてきた。その白眉は、イタリアのG・ロージ監督の『海は燃えている』(2016年。ベルリン国際映画祭グランプリ)だろう。だが、それらの作品はいずれも、ヨーロッパ人の側から他者たる難民たちを描いており、作品が問うのは、難民自身についてというよりも、彼らの生(あるいは死)を他人事とする「我々」の非人間性についてだ。それに対し本書は、難民となる人間の側からその経験を描いており、多くの示唆に富む。

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