すべては2010年12月17日に始まる。この日、チュニジアの地方都市で、青果の行商で糊口を凌いでいた貧しい青年が、県庁舎前の広場でガソリンをかぶり、自身のからだに火を放つ。警官による積年の嫌がらせ。役所に訴えても顧みられない。四半世紀近く続くベンアリ大統領の独裁のもとで腐敗しきった警察や役所。公正さの微塵もない社会で、実直に生きる者ほど貧困と屈辱にまみれ、そんな体制を批判すれば命の保障はない。青年は尊厳を求めて、抗議の焼身自殺を図ったのだった。炎に包まれた彼の姿はSNSで瞬時に拡散され、国民の怒りが爆発する。国内全土で大統領退陣を求めるデモが起こり、大統領は夜逃げ同然に国から逃亡した(モロッコの仏語作家ターハル・ベン=ジェルーンの『火によって』<以文社、2012年>は、この出来事を描いた小説だ)。

 ジャスミン革命と呼ばれる、チュニジアにおけるこの体制打倒によって、「アッシャアブ・ユリード・イスカートンニザーム(国民は体制打倒を欲す)!」というアラビア語のシュプレヒコールが、瞬く間にアラブ世界全域に広がった。翌年一月末、エジプトの首都カイロの中心部にあるタハリール広場は、「パンと自由と人間の尊厳」をスローガンに、大統領の退陣を求める何十万という市民で埋め尽くされた。2月11日、800名以上の死者を出しながら、非暴力手段で闘い続けた市民の革命はついに成就する。世界唯一の超大国アメリカの支援を受けて、30年にわたり独裁的権力を振るってきたムバーラク大統領も、市民の声の前に退陣に追い込まれたのだった。

 二つの市民革命の成功は、今なお権力の座にあるアラブの独裁者たちに、恐怖政治で権力をほしいままにしてきた為政者の行く末を知らしめる教訓となった。そのため、チュニジアの非暴力デモで始まった革命がその他の国々に波及するにつれ、体制側の暴力も激化の一途をたどり、市民の犠牲も桁違いに増えていくことになった。

 2月、リビアでも市民の抗議行動が起こると、40年以上にわたり最高指導者の地位にあったカダフィ大佐は軍を動員して、これを暴力的に弾圧。抗議行動は体制打倒を求める反乱に拡大し、政府軍と反政府軍のあいだで内戦状態となる。都市も容赦なく爆撃された。反政府軍の死者は6000人以上。しかし、二つの革命の成功に鼓舞されたリビアの人々の、自由への渇望と人間の尊厳を求める意志は挫けなかった。逃亡したカダフィは10月、潜伏先で見つかり、反政府軍の民兵らにリンチの末、殺害される。独裁者の哀れな末路だった。独裁者の死によっても贖われ得ぬ、専制の暴力と内戦の痛ましい記憶がいかなるものかを、私たちはリビア出身の英語作家、ヒシャーム・マタールが繊細な筆致で綴った『帰還 父と息子を分かつ国』(人文書院、2018年)を通して知ることが出来る。

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