時代小説が従来のファンはもとより、新しい読者層の支持を受けるためには何が必要か? この重要な課題のひとつが、時代小説だからこそ描ける“現代に通底するテーマ”を内包しているかということである。言葉を変えれば時代を超えた普遍的人間像を刻み、濃密なドラマを展開できるか、ということである。現在、求められているのはそんな作品であることは確かである。

 残念なことに第6回朝日時代小説大賞は、大賞受賞作はなしという結果になったが、優秀作となった片山洋一『大坂誕生』と、松永弘高『泰平に蠢く』(『決戦! 本城』に改題)の2作品は、そんな現在の要望に応える力作に仕上がっている。

『大坂誕生』は大坂夏の陣を経て、都市も人心も荒れた大坂の復興がモチーフとなっている。作者の意図は明確である。現在の日本は東日本大地震や福島の原発による壊滅的打撃、それに続く異常気象による猛威にさらされ、復興も遅々として進んでいないのが現実である。

 作者はこの現実と自らがかかわりの深い大坂の地域振興を念頭において、本書に取り組んだ。本書の面白さはこの意図の明確さを原動力として復興にまつわる様々な問題を、主人公・松平忠明の成長物語の糧として捌いた力量にある。

 特に冒頭の家康との対面の場面は注視しておく必要がある。ここでの家康のひと言ひと言が、松平忠明の人物像の骨格を語ると共に立ち塞がる難局をテコに彼がその骨格にどんな筋肉をつけて成長していくかが予言されているからだ。何度読み返しても実に味わいのある会話で占められている。

 作者はこの場面を起点にして、幕府確立期に活躍した著名な人物や、大坂復興にかかわる人物と、主人公とのやりとりに多くのページを割いている。ここに作者の巧妙な仕掛けがある。家康とのやりとり同様、松平忠明はこれらの人物とのやりとりを貪欲に吸収し、指導者としての間口を広げ、奥行きを深めていくのである。含蓄のある会話のうまさは作者のセンスの鋭さをうかがわせる。

 なかでも忠明と彼の行動を傍らから干渉して、自由に行動させない典型的な官僚として登場する山田重次との対立シーンは緊張感溢れるものとなっており、作者の作家としての資質の高さを示したものとなっている。

 そして、全体を通しての読み所は、何と言っても官より民の力が勝ったとするストーリーを力強く謳い上げたところにある。これが忠明の豊かな人物造形と共に、作品に爽快な印象を与えている。作者は自らがもつ都市の復興に対する危機意識を発条として、それを歴史の場を借りることで、既成の枠にとらわれない自由な発想と展開で描き、現代へのメッセージとしたのである。

『決戦! 熊本城』も『大坂誕生』と同様に、現代的テーマを意識した作品である。作者は執筆動機について次のように語っている。

《今に似た時代を探し、書くというテーマをもって創作にのぞんだ。
 今と似た時代を生きた人々は、なにを感じ、考え、どう行動したかを描きたかった。調べていくうちに魅力的な人物たちと出会い、作品がふくらんだ。
 結果として群像劇になった。》

《今に似た時代》というのが本書の芯である。この点で作者は恰好な題材を探し当てた。幕藩体制確立期に起こった改易問題である。家康という絶大な権力は別格として、子の秀忠、家光への将軍職の継承過程は、必ずしも盤石なものではなかった。その不安を取り除く政策として浮上してきたのが、戦国大名の改易である。特にターゲットとなったのは、豊臣系の有力外様大名で、将来の火種となりかねないために改易の憂き目にあった。

 また、小規模な大名の改易や転封も盛んに行われ、特に譜代大名を西国方面に配置することが重要視された。こういった流れのなかで起こったのが、本書の舞台となった1632年、肥後熊本五十二万石の加藤忠広の改易であった。

 物語は熊本に在国していた忠広が召喚されて、品川に着いたところで幕を開ける。緊迫感漂う出だしとなっている。世は泰平へ向かって動き出していたが、その一方で、老中本多正純、越前福井62万石の松平忠直の改易問題が起こった1622年は、政治的危機を孕んだ情勢となった。それだけに加藤家改易の一件は乱の火種になる様相を呈していた。この背景には、江戸、京、大坂にあふれている牢人たちの存在があった。戦をせず、熊本城請け取りを成し遂げなければならなかった。

 作者はこの改易問題に着目、泰平の世に蠢く政治ドラマとして捉えた。新鮮なのは時々刻々と迫る城請け取りまでの過程を、多元的な視点を駆使することで、ライブ感溢れるものとして構成した点にある。この手法が効いて散漫な印象に陥りやすい群像劇が、重厚な人間ドラマに仕上がった。

 二作共に確固たる歴史観に裏付けられた作品で、作者の今後の活躍に期待がもてる。