今野敏の新刊で、主人公は警察官。と書くと、作者お得意の警察小説だと、誰もが思うだろう。しかし、それは間違いだ。本書は新人警官が、さまざまな体験を経て、SAT(特殊急襲部隊)の一員になるまでを描いた、成長小説なのだ。

 柿田亮、22歳。警視庁巡査を拝命し、6カ月間の初認教養研修を終えた彼は、都内の地域課に配属された。これを振り出しに、刑事課・交通課・生活安全課を次々に体験。だが、警察の仕事にはグレーゾーンが少なからずあった。自分がそれに対応できるのか。悩んだ柿田は、教場の教官に、もやもやを吐きだし、迷うことが間違いではないと教えられる。そして、先に世話になった地域課の、曽根巡査部長の班に配属されるのであった。

 の捨て子を持ち込まれたり、酔っ払いの相手をしたりしながら、なおも自分が警察でやっていけるのか考える柿田。非番の日に、映画館で捕まえた痴漢の件で、彼の悩みは、さらに深まる。そんな彼は曽根に、機動隊を目指してみてはどうかと勧められる。また、警視庁の駅伝大会に抜擢され、ぶっ倒れるまで走った。大学時代にラクビー部に所属していた柿田にとって、身体を使うことは苦にならない。やがて機動隊に推薦された彼は、自分に向いているのではないかと思い、これを承諾する。まだ柿田は知らない。その道が、SATへと続いていることを。

 本書のストーリーは、すこぶるシンプルだ。驚くようなエピソードや、大きなドンデン返しもなく、地域課から機動隊を経てSATになる新人警官の人生が、真っ直ぐに綴られている。それなのになぜ、こんなにも面白いのだろう。理由のひとつは、主人公の魅力だ。

 今野作品の主人公は、自己評価と周囲の評価に、ギャップがあることが多い。自分の言動が正しいかどうか常に悩んでいるのに周囲には毅然としていると思われている「安積班」シリーズの安積剛志や、常識人のつもりでいるのに周囲からは変人といわれる「隠蔽捜査」シリーズの竜崎伸也……。彼らは、作者ならではの“ギャップ型主人公”になっている。本書の柿田亮も、これに属する。ガムシャラに前に進むことしかできない彼の言動が、周囲にはいい意味で開き直った強さに見えるのだ。そのギャップの中から、柿田亮という若者の、魅力的な肖像が立ち上がってくるのである。

 さらにシンプルなストーリーの中に仕掛けられている、読ませるためのフックも見逃せない。作者はネットに掲載されたインタビュー「プロットなしで小説を書く『体力』について」の中で、

「小説ですから、最初は対立の構図を描かなくちゃ始まらない。でも対立しっぱなしだと物語にならないんでね」「多分そういう瞬間があると思うんです。人と人とが分かり合う瞬間、認め合う瞬間というのが。そこが好きなんですよ、書いていて一番楽しいところでもある」

 といっている。この対立と理解という手法が、本書でも使われているのだ。機動隊時代にも、ちょっとした対立と理解があるのだが、こちらの扱いはあっさりしている。機動隊からSATに推薦され、試験入隊訓練が始まってからが本番だ。兄貴分の藤堂淳也や、銃器の天才の桐島真一と親しくなった柿田だが、一方で、他の人々をライバル視する村川繁太と反目する。この対立がスパイスとなり、リーダビリティが増しているのだ。もちろん最後には、互いに理解し合い、爽やかな気持ちを味わえるようになっている。自分の信じるエンターテインメントの手法を墨守し、読者を楽しませる作者の誠実な姿勢は、脱帽するしかない。

 また、SATの訓練風景を克明に描いている点も、本書の注目ポイントになっている。ちなみにSATとは、Special Assault Teamの略称。テロ事件やハイジャック事件など、通常の警察の部署では対処できない重大事件を担当する。本来、このような事件に当たるのは軍隊だが、日本の自衛隊は法律の関係で関与することができない。そのため、警察が引き受けるしかないのである。

 といった仕事の性質上、SATは秘密のベールに包まれている。どうやって調べたのか、それを作者は、克明に描き出した。訓練中のヘリコプターのエピソードなど、実にリアルであり、なるほどSATとはこういうものかと、感心しきりである。

 しかも作者は、自衛隊でのSATの訓練を活写することで、警察官の在り方を表現する。どんなに軍隊と近しい行動になろうと、あくまでもSATは警察だ。警察官として、守るべき一線がある。SATを通じて、日本の警察を深く掘り下げたところも、本書の得難い読みどころになっているのである。