2人に1人が、がんになり、3人に1人が、がん死している現実がある。老化もその大きな原因であるがんは、今後、団塊の世代に襲いかかり、やがて2人に1人が、がんで死亡すると言われている。このような現実を直視し、腹をくくり、誰もが、がんになり、がんで死亡するかもしれないことを自らの人生設計にいれながら生きることが求められている。

 なぜなら、がん治療の成績が、今後劇的に改善することは難しいと思われるからである。何十年にもわたる研究によっても、胃がんや食道がん、肺がん、すい臓がんなどの進行・再発固形がんを治すことのできる抗がん剤は出現しなかった。それら固形がんに対しては、最近登場した非常に高価な分子標的治療薬でも、一定の延命効果があるだけであり、それも全例ではない。その延命効果も多くは数カ月であり、時に数年の延命効果がある場合もあるが、それは稀であると言われている。もちろん、縮命することもある。一方、その分子標的治療薬は、従来の抗がん剤に比して副作用が少ないと言われ、結果、死の間際まで治療が行われることも多い。別の見方をすれば、死の間際までがん治療に縛られてしまうとも言える。患者は、それを知って治療を受けているのだろうか。早期発見・早期診断が大切と声高に叫ばれているが、それらに否定的な近藤誠氏の論も、それなりの説得力を持っている。

 本書の著者も触れているが、在宅での緩和ケアに取り組んでいると、上記のような、がん医療の現実が、よく見えてくる。例えば、評者の診療所では、通院や治療困難のため在宅療養を開始した末期がん患者の約半数は1カ月以内に死亡しており、約4分の1は2週間以内に死亡している。患者・家族は治ることは難しいのに、治療医から提案される次から次の抗がん剤に「治るかもしれない」と希望をつなぎ、人生最期の間際まで翻弄され続けている、かのようである。治療関係者も一生懸命なのかもしれないが、本当にこれで良いのかと思う場面が多すぎる。何が、問題なのか。そして、問題を把握できたとして、その対処方法はあるのか。

 本書は、治癒困難ながんになり、やがて死に向かわざるを得ない人々が直面する問題を、その治療過程から死に至るまで、著者の体験に基づくエピソードを交えながら、丁寧に解説し、「それでも、大丈夫だよ」とその対処法についても、分かりやすく説明している。

 例えば、がんの痛みの問題など、本書をじっくり読めば、もう怖くなくなるだろう。治癒困難ながん患者の家族も、自分がどのように患者と向き合えば良いのか、多くのヒントを得るだろう。それらがん患者や家族にケアを提供する医療・介護の専門家も、問題の整理や、あるべきケアの在り様に思いを巡らせることができるだろう。さらには、全ての人が直面する死とはいかなる意味を持つのか、死は本当に「存在の終わり」なのか、などなどが、様々な引用や事例を基に説得力をもって、展開されているのである。

 本書は、いまや普通の病気であるがんに罹患しながらも、適切な情報提供がないままに、途方に暮れている人々にとって、良き道標、あるいは、生きる希望、になるに違いない。著者の究極の願いは「幸せな生き方・死に方」のヒントを読者に届けることだからである。誠実でこころ優しき著者である。そのような意味では、本書が示す困難な現実との向き合い方は、がんに限らず、死を意識せざるを得ない病気を抱えながら生きる患者・家族や、生きる意味を見失いそうになりながら困難な時を生きる人々にも多くの示唆を与えるだろう。

 ところで、念のため、確認しておきたいことがある。それは緩和ケアと緩和医療の違いである。本書を通読すればお分かり頂けるように、緩和ケアには身体的苦痛や精神的苦痛を緩和する医療は包含される。が、それら緩和医療だけでは死に直面しつつ困難な人生を生きる患者を支えることができないことは、明白であろう。緩和ケアは緩和医療を包含するが、さらに大きな枠組みの人生支援のケアなのである。

 現代ホスピスの創始者であるシシリー・ソンダースは末期がんのような人生の危機的状況を生きる人々は、全人的苦痛(身体的、社会的、心理的、そしてスピリチュアルな苦痛)に直面することが多く、それらの人々には全人的ケアであるホスピスケアが必要であると提唱している。ホスピスケアと本質的に同義である緩和ケアが本来のものとして提供されるのであれば、その目指すところは、著者のあとがきにある「幸せな生き方・死に方」になる。本書を通して、緩和医療だけではない、本物の緩和ケア(全人的ケア)が拡がることを期待したい。