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 グラスに注いだウィスキーに、水を一滴――。すると凝縮されていた香りが開き、豊かな味わいをよりクリアに深く感じることができる。たった一滴の水が、複雑な風味を整え、秘められていた芳醇さを引き出してみせる。初めて試した際、その大いなる効能に驚いたものである。

 月村了衛の代表作〈機龍警察〉シリーズにもまた、同じような“大いなる効能”を読み取ることができる。大量破壊兵器の衰退とともに〈機甲兵装〉と呼ばれる二足歩行型有人兵器が台頭した世界で、警視庁と契約を交わした三人の傭兵たちが搭乗する最新鋭の〈機甲兵装〉――〈龍機兵(ドラグーン)〉。この設定――“一滴”を現代の混沌とした情勢や犯罪事情に加えることで、物語は驚くほど大きく華開く。警察小説の重厚さ、SFの先鋭さ、海外冒険小説の香気を併せ持つ高い密度と圧倒的なスケールで、非情なリアルの奥底から人間の熱情を引き出してみせるエピソードはいずれも、ここ二十年で登場した、あらゆる国産エンターテインメント作品の上位にランキングされてしかるべき破格の傑作だ。第二弾『機龍警察 自爆条項』(ハヤカワ文庫JA)が第三十三回日本SF大賞を受賞し(同時受賞に宮内悠介『盤上の夜』、特別賞に伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』)、第三弾『機龍警察 暗黒市場』(早川書房)が第三十四回吉川英治文学新人賞を受賞(同時受賞に伊東潤『国を蹴った男』)したことからも、充分におわかりいただけることだろう。

 これらふたつの賞の受賞後第一作となる待望の新作『黒警』は、前述のSF要素とはまた違う“一滴”で、白熱する物語だ。交わるはずのない男たちが手を結び、巨悪に一矢報いるべく大胆な奇策で戦いを挑む警察小説である。

 くだらねえ、やってられねえ。不法就労の中国人も、警察も、警察に入った自分もろくでもねえ……。そんな嫌悪と諦念にまみれた日々を送る警視庁組織犯罪対策部の警部補――沢渡は、コピー商品、無許可のキャラクターグッズ摘発のための捜査を命じられる。調べを進めると、「義水盟」なる新興組織が子ども向け漫画の違法グッズを特定的に扱っている情報をつかむ。しかも上海系の黒社会組織「天老会」が、なぜか「義水盟」の幹部――沈(シエン)の居場所を血眼で探しているという。さらに、腐れ縁のヤクザ――滝本組の波多野から、天老会の目的が“ペンママ”と呼ばれる正体不明のなにかであることを耳にする。なぜ天老会は沈を追っているのか? “ペンママ”とは果たしてなにか? すると沢渡と波多野の前に沈が現れ、ある奇妙な依頼を持ち掛けてくる……。

 〈機龍警察〉シリーズは、数ある警察小説のなかでもとくにグローバルな視座を備えていたが、本作でもそれは健在だ。現在進行形の中国人犯罪を中間に据え、捜査に当たる沢渡の側からは取り締まる役割を貫徹しない日本警察の腐敗ぶりを描き、沈の側からはモラルの欠落した中国の体質と目を背(そむ)けたくなるような惨状を詳らかにする。こうした日本と中国双方の自国を見つめる目を取り入れることで、報道やデータから垣間見える中国人犯罪の一面的な捉え方を改め、その根底に国家権力の怠慢や悪しき行ないがあることを明示していく。かくも非情で、混沌に蔽(おお)われた権力支配の腐った世界。それがリアルな現代なのである。

 では本作において、〈龍機兵(ドラグーン)〉に代わり、大いなる効能をもたらす“一滴”となり得るものとはなにか?

 それは、属する組織や祖国に幻滅し、信義を失った男たちが宿す“義侠心”だ。

 沈が唱える、中国人組織という意味ではない、国境も歴史も超えたアウトローのネットワークという本来の意味での〈黒社会〉。この集まりには、中国人だろうと日本人だろうと、刑事もヤクザも関係ない。私腹を肥やすために国と立場を超えて手を結ぶ悪党どもに対し、同じように垣根を超えて義のために結束したかつてない存在――真の〈黒〉が立ち向かう展開は、これ以上なく物語を白熱させる。彼らがいったいどんな奇策で黒幕に一矢報いるかは、ぜひその目で、実際にご確認いただきたい。

 現代の犯罪は、国と国の関係性や対立構造などものともせず、広く深く狡猾に根を張って、世界を蝕(むしば)んでいく。あたかも、混沌としたこの世で、犯罪こそが終わりなき紛争やいがみ合いを飛び越え、たちまち人間同士を結びつけるもっとも強い力なのだと誇示するように。だが、犯罪がそうして結びつけることができるのは、欲深き卑しい者たちだけだ。虐げられ、裏切られてきた者たちを奮い立たせ、正しく結びつける可能性は“義”にしかあり得ない。

 月村了衛が放つ渾身の黒き警(いまし)めが、それを教えてくれる。