俳優・松田優作氏の元妻である作家の松田美智子氏が、俳優・三船敏郎についての著書を出した。本を読んだ心理学者の小倉千加子氏が感想をこう綴る。

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『サムライ 評伝三船敏郎』(文藝春秋)という本を松田美智子が書いたという広告を目にしたので、早速に読んでみた。

 松田美智子は『越境者 松田優作』を著した、優作の元妻である。

 有名人の妻が亡き夫のことを書いた本に面白いものがあったためしはないような気がするが、これは男性が亡き妻のことを書いた本でも同じことが言えるので、何も女性に限った問題というわけではない。

 しかし、例外のように松田美智子の本は面白かったのである。何で松田優作は松田美智子と別れたのかと思った。

 案の定、別れた後も優作は松田美智子と会っている。他に行くところがないかのように会いに行っているのに、美智子と何か重要な話をしたかという特段のことは何もない。

 何もないのに松田美智子は優作には必要だったのである。

 こういうことを書くと松田美智子という人に失礼ではないかという気がするが、松田美智子は受容性の人であって、その受容性の正体は一体何なのかは松田優作にも分からなかったのだろうと思う。

 松田美智子は料理の上手な人だったらしいが、松田美智子と同姓同名の料理研究家がいるので、それは一読者である私の錯覚かもしれないし、錯覚ではないかもしれない。料理研究家の方の女性とは違って、松田美智子は抑制の女性である。

 その優しい心根を持った松田美智子がなぜノンフィクション作家になったのか理由はよく分からない。料理研究家になっても何ら不思議ではなかったと思う。

 その松田美智子が三船敏郎のことを書いたのである。

 三船敏郎が亡くなったのは平成9年である。その年に国民栄誉賞を受けた人はいない。翌年、黒沢明監督が亡くなると、すんなりと受賞が決定した。

 

 昨年、長嶋茂雄と松井秀喜の二人が国民栄誉賞を同時受賞したが「黒沢明が亡くなった年に、三船敏郎と同時受賞させることは出来なかったのだろうか。そのときなら、異議を唱える日本人はまずいなかっただろうに」と松田美智子は書いている。

 三船敏郎の栄光は忘れられている。「世界のミフネ」を過去の人にしてはいけないという思いに動かされ、松田美智子は取材を始めた。

 この本を読めば、誰でも三船敏郎が好きになると思う。これといった具体的な理由が列挙されているわけではないのだが、三船という人がいじらしくて、限りなくいとおしくなるのである。

 著者と同じように、三船敏郎もまた得体の知れない受容性の人となり、読者はその正体が掴めないままに惹きこまれていく。

 大正9年生まれの三船はもともと役者になるつもりなどなかったのに、流されるように役者になった。しかし一旦仕事を与えられると渋々ではあっても律義に几帳面に責任を果たした。

「三船は除隊のときに受け取った毛布を自分で裁断して縫い、コートに仕立てた男である」

 なんでそんなことができたのかという説明はない。松田美智子はさりげなさ過ぎるので、三船敏郎の才能の由来について読者は最後まで分からないままである。三船は乗馬が「上手過ぎるほど上手い」と言われたが、それも卓越した「身体能力」のせいにされている。

「三船プロ」は五社協定と闘い、興行的にも大成功を収めた。三船敏郎は高度に能力の発達した人だが、部下に裏切られて失墜した。そういう脆さが松田美智子には魅力だったのだろう。

 本当によく分からない、松田美智子という人は。

週刊朝日  2014年2月14日号