母との確執に悩まされている娘世代の女性は少なくない。自身の作品でも母との葛藤について書いてきた作家の村山由佳さんは、いまだに認知症になった母とどう関わって行けばよいのかわからないという。

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 4年前に『ダブル・ファンタジー』で柴田錬三郎賞を受賞したとき、母は開口一番、「お母ちゃんも作文一番やってんで」。そこですか、と思いながらも、娘に嫉妬心を露にするのは母らしいと思いました。

 彼女は、女優になっていたら満足できていたような、自己顕示欲が強い“劇場型”。でも不幸にも、自己表現の場が子育てしかなかった。だから私を自分と同化し、自分ができなかったことをやらせようとした。私はまさに、母の作品でした。

 母は私を“恐怖政治”でコントロールしていました。いちばんうまかったのは飴の使い方。ことあるごとに私を褒め、自尊心を伸ばして、肥大させるんです。そして最後に必ず「さすが、お母ちゃんの子や」。と言う。私は必死で母を喜ばせ、自分の存在を許された気分になるのです。

 けれど、劇場型の母の一面には反発も覚えました。例えば、お恥ずかしい話ですが、私が14歳で万引きをしてしまったとき、母は店に謝りながら、今このときとばかりに「うちの子に限って」を連発し、狂乱状態になりました。母の意識は私ではなく、自分に向いていると本能でかぎとった瞬間、心が離れました。

 17歳のとき、母が父の浮気を苦に自殺を図ったときは「狂言だ」と確信しながらも、「心配したよ」と精いっぱい娘らしく振る舞いました。母が喜ぶ態度をとるのが得意だったんです。

 
 私自身を投影して書いた『ダブル・ファンタジー』について、ある人に「なぜ、主人公は同じ年の夫に嫌と言えないのか」と問われたとき、42歳にして初めて、当時の夫にも母にも支配されていたと自覚しました。元夫との関係を清算し、次は母と向き合って闘うつもりだったのに、彼女は認知症になってしまった。自分の子育てに一点の曇りなしと勝ち誇ったまま。だから私は一生、不戦敗です。

 誰だって何かしら親との確執はあるんだし、大人になったら年老いた母を許しなさい――。周囲の人によくそう言われます。息子が父を切り離すことは通過儀礼とされるのに、娘の場合は薄情だと批判される。

 でも、母娘だからわかり合えるというのは幻想です。むしろ母娘だからわかり合えず、他人以上に根が深くなる。どうしても母の支配に苦しんでしまうなら、私は母を切り離していいと思います。罪悪感はもう、しょうがない。

 母世代には、「愛することは支配すること」だと少しでもわかってもらえたらいいですね。望むと望まざるとにかかわらず、愛するほどに支配しているんです。

 支配される側は、ある意味、楽です。言うとおりにしていれば、それがよほど間違いでない限り、常にハードルをクリアできる。身近な人に肯定される安心感も生まれます。

 でも、その支配にしんどさを感じる娘たちは確実にいます。そのことを母親自身に気づいてほしい。理解できる人は少ないかもしれませんが。

 2年前、母との葛藤を書いた半自伝的小説『放蕩記』を出しました。母が死んでからしか書けないと思っていたんですが、そのおかげで母との関係が整理できました。「書いてごめんね」と心の中で謝りながら、「健康なままボケてくれてありがとう」と思ってしまう私は、やっぱりひどい娘かもしれません。

 母は文章を書くおもしろさを教えてくれたし、怖い母から逃れたくて空想の世界に逃避したのが、私の作家としての原点でもあります。ただ、母と私のこれからについては、いまだに光は見えていません。母を介護している父が心配ですが、「私が介護する」という覚悟は定まっていません。

週刊朝日  2013年12月13日号