中央線のガードをくぐり須田町停留所に到着する19系統通三丁目行きの都電。ローマ字表示の系統板や五輪旗の掲揚など、東京オリンピックにふさわしい装いだった。万世橋~須田町(撮影/諸河久:1964年10月25日)
現在の須田町交差点からJR中央線跨道橋を見る。昔と変わらないのは橋梁部分だけで、左端には万世橋の擬宝珠が覗いている(撮影/諸河久:2019年6月1日)
オリンピック開催中に、系統板に取り付けられたローマ字表記の行き先と車体側面の方向板。茅場町停留所(撮影/諸河久:1964年10月14日)
昭和39年4月の路線図。須田町界隈。込み入ったジャンクションであることがひと目でわかる(資料提供/東京都交通局)
南北方向6系統、東西方向4系統、計10系統の都電が交差する都電最大の「ホットコーナー」が須田町交差点だ。都電の背景に「万惣」果物店と「須田町地下鉄ストア」ビルがあった(撮影/諸河久:1963年10月27日)
須田町交差点の近景。万惣の跡地はホテル「ドーミーイン神田」になり、「須田町地下鉄ストア」ビルも建て替えられ、地下通路への直通エレベーターも付いた。頻繁に都電が通った街に、都バスの姿が見えないのが寂しい(撮影/諸河久:2019年6月1日)