約6時間をかけて一帯を“制圧”した機動隊は、昼すぎに大型バスに運ばれて到着した防衛局職員や警備会社社員の力も借りて、工事資材搬入路の前に設置された市民テントを解体した。10年近くにわたり、ヘリパッド工事に反対する人々の拠点だった。テントを支える鉄骨が崩れ落ちていく。そのとき、それまで晴れていた空に暗雲が広がり、たちまち土砂降りの雨となった。まるで“やんばるの森”が号泣しているようにも感じた。

 同じような風景を幾度か辺野古(名護市)でも目にしている。新基地建設の導入路にあたる米軍キャンプ・シュワブのゲート前。新基地建設に抗議する人たちを、機動隊は繰り返し排除してきた。昨年秋からはデモ鎮圧部隊の“精鋭”として知られる警視庁第四機動隊も現地に派遣されている。辺野古の現場で前出の山城氏にインタビューした際、彼はこう答えた。

「非暴力を貫く。警察の暴力に暴力で対抗しても無駄ですよ。でも、それは何もしないことを意味するわけではない。徹底して抵抗する。ほかに訴える手段を我々は持たないから」

 そしてさらに、こう付け加えたのであった。

「機動隊には機動隊の仕事があることも理解している。だから、誇りを持って仕事してくれと頼んでいる。せめて、我々の願いを、しっかりと見てほしい」

 その「願い」が、機動隊の一部に届いていることを、私も信じたい。辺野古でも高江でも、苦渋に満ち満ちた、いまにも泣き出しそうな表情で「仕事」をする機動隊員がいることを、現場に足を運んだ者であれば知っている。

 問題は、ひりひりするような熱射も、人の息遣いも感じることなく、一方的に指図する者たちだ。

 高江で工事が強行されたその日、国は辺野古の新基地建設をめぐって、沖縄県が是正指示に従わないのは違法だとして、翁長雄志知事を相手に違法確認訴訟を福岡高裁に起こした。裁判所や第三者機関が話し合いによる解決を求め、県も協議継続を求めていたにもかかわらず、だ。

 政府はやりたい放題じゃないか。力で押さえつければ、沖縄は何とかなるとでも思っているのであろう。沖縄は、そうしていつも、組み伏せられてきたのだ。この圧倒的に不平等な本土との力関係の中で「弾よけ」の役割を強いられてきた沖縄は、まだ足りないとばかりに、理不尽を押し付けられている。差別と偏見の弾を撃ち込まれている。

 だからこそ、この場所で取材し、記事を書く者たちは、何を報ずべきかを知っている。どこに寄り添うべきかを知っている。

 記者は国家の伝令役じゃない。発言の回路を持たぬ者たちの声に耳を傾け、不公正を少しでも正そうとすることが、当たり前の記者の仕事なのだ。

 それが果たして「偏向」なのか──。

 メディアの萎縮が叫ばれる今こそ、「偏向」とは何かを再考すべきではないだろうか。(ジャーナリスト・安田浩一)