「坂井さんが散歩している姿を撮影していると、気がついた日本人の新婚カップルがサインを求めてきました」

 坂井さんは少し困ったような表情を浮かべて、映像制作担当者のもとに歩み寄り、こう言ったという。

「こういうときって、サインしてあげてもいいんですよね?」

 この担当者が「してあげればいいんじゃないかな」と答えると、うれしそうな様子でサインに応じたという。

 05年末、小さな水族館を併設した東京・恵比寿のレストランで撮影した。海が好きな坂井さんはシチュエーションがとても気に入ったらしく、「今度は水族館で撮影したい」と自ら撮影を企画。07年4月には水族館でのロケを予定していた。

 だが、撮影日の数日前になって、坂井さんから撮影担当者に一通のメールが届いた。
 〈また治療のため入院しなくてはいけなくなったので、撮影できなくなってしまいました〉

 子宮頸がんの摘出手術を受けたものの、がん細胞が肺に転移していたのだ。

「一度お見舞いに行きました。彼女はもどかしかったでしょうね。『早く仕事がしたい』と。いつもスタッフに心遣いをみせていた彼女は、帰り際にベッドから起きてわざわざエレベーターの前まで見送ってくれました。それが坂井さんと会った最後でした」

 前出のビデオで、坂井さんは「幸せとは?」と問われて、こう答えている。

「自分の好きなことを、一生やり続けていけることだと思います」

 亡くなった年の秋には、アルバムの発売とライブツアーを行う計画があった坂井さん。闘病中も病床で詩を書き続けていたというが、その一生は幸せだったのか。やはり無念だったのか。

 いくら問うても、「永遠」に「君がいない」――。

(週刊朝日「2007年6月15日号」、「同年8月24日号」に掲載した記事をニュースサイト「ドット」編集部が加筆・再編集しました)