坂中さんが注目するのは、1959年から84年までの帰還事業で北朝鮮に渡った約9万3千人のうち、日本人妻の約1800人とその子約5千人、さらに第2次世界大戦後の混乱期に帰国できなかった残留日本人だ。彼らの処遇は日本国籍を有する「邦人保護」と同義であり、有事いかんに関係なく国の責任で受け入れ態勢を万全にすべきと主張する。

 昨年4月には、両親が本県出身、ソウル生まれで北朝鮮に暮らす84歳女性が日本の記者団の取材を受け、帰国希望があることを伝えたが、報道は一過性で話題にもほとんどならなかった。坂中さんは言う。

「残留日本人と日本人妻、そして拉致問題は一体で取り組み、一人残らず救出しなければならない。昨年のこの報道は、北朝鮮が日本に対して話し合いを求めるサインです。拉致問題の解決も、ここを糸口に模索するべきなのに、安倍政権は無視した。残念ですね」

 仮に有事となれば、難民として日本を目指すのは、日本人妻と子孫、そして帰還事業で帰った元在日朝鮮人ら、日本に所縁のある人たちだろう。在日韓国・朝鮮人の法的地位向上や就職差別撤廃に取り組んできた異色の法務官僚だった坂中さんの言葉には説得力がある。

「不幸にも有事がきっかけで、日本に難民として来られることになっても、その人たちをぜひ温かく迎えてあげてほしい。必ず日本と北朝鮮の懸け橋になってくれるはずです」

 実際に難民を受け入れる施設は、地理的要因などから長崎県大村市の大村入国管理センターが有力視されている。1989年、ベトナム難民を装って九州各地に次々に上陸した中国人約2800人も、同センターに集められ退去強制処分に。隔離された同施設でかかるストレスや精神的ダメージも浮き彫りとなった。不法滞在などで退去強制処分になった同センターの収容者たちを長年支援してきた長崎インターナショナル教会の柚之原寛史牧師(49)はこう言う。

「センターは800人定員に現在は約120人を収容中。キャパは十分でしょう。だが歴史的経緯からみても韓国・朝鮮人にとって大村入管は決して居心地のいい場所ではない。日本人は自分が難民にならない限り、難民の気持ちを理解できるようにはならないかもしれませんね」

 我々が、問われている。(編集部・大平誠)

AERA 2018年3月19日号より抜粋