普天間飛行場の辺野古移設に反対する沖縄県民大会。観客席とグラウンドを埋め尽くした人々が、表に「辺野古新基地NO」、裏に「屈しない」と書かれたパネルを高く、何度も掲げた/ 5月17日、那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇(撮影/石川竜一)
普天間飛行場の辺野古移設に反対する沖縄県民大会。観客席とグラウンドを埋め尽くした人々が、表に「辺野古新基地NO」、裏に「屈しない」と書かれたパネルを高く、何度も掲げた/ 5月17日、那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇(撮影/石川竜一)

3万人が琉球語の「檄」に酔いしれた。沖縄の人々を熱狂させる「翁長雄志」という英雄を生み出したのは、沖縄に冷淡な安倍政権である。(編集部・野嶋剛)

 那覇と東京との距離は、さらに、広がっていた。

 1カ月半ぶりに訪れた沖縄は、ちょうど「本土復帰の日」の5月15日を迎えていた。

 沖縄県庁のロビーに立つと、正面に飾られた21人の肖像に衝撃を受けた。初代琉球国王から、米軍占領下の琉球政府行政主席、それに歴代知事。最後の一人はもちろん、米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、安倍政権と“取っ組み合い”のけんかを続けている翁長雄志(おながたけし)知事である。

 この肖像の展示は「うぐい(肖像)プロジェクト」と呼ばれ、県庁や県立博物館・美術館など、数カ所を巡回する。「沖縄」の権力史ではなく、500年以上におよぶ「琉球」の権力史を明らかにするものだ。民間団体の事業だが、県も全面的に協力。琉球史は、日本への併合、米軍統治、本土復帰を経ても途絶えておらず、自分はその系譜の中にある──そんな翁長知事の「自意識」が込められているように、私には思えた。

 17日の反辺野古移設の県民大会は、30度を超える暑さのなか、異様な興奮に包まれた。事実上の「東京」への宣戦布告であることは誰の目にも明らかだった。

 準備期間は1カ月。3万人収容の「沖縄セルラースタジアム那覇」が埋まるかどうか、不安説も流れた。ところが、ふたを開けてみると、中に入れない人が出るほどの盛況で、3万5千人(主催者発表)が集まった。

「4万人、5万人としてもよかったのですが、過去の沖縄での集会に対し、右派から『数字が水増しされている』と批判されたこともあり、今回は3万5千人と慎重な数字にしました」

 大会主催者の幹部は、うれしそうに語った。

●辺野古基金にひと月で2億円

 会場の空気が2度、ぐらぐら震えるのを感じた。

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