●片道1時間半はツライ

 クラウドソーシング大手のランサーズは1年ほど前、本社を神奈川県鎌倉市から渋谷に移した。鎌倉にはユニークなベンチャーが多く、
「鎌倉ベンチャーを盛り上げよう。目指すは、カマコンバレーだ! 渋谷に負けていられない」
 という思いは強かった。でも、渋谷に移転してしまった。
「鎌倉愛」がなくなったわけではない。人材や販売網が潤沢ではないベンチャーは、同業者や大企業と連携しながら成長する。ところが、連携先が集まる渋谷までは、片道1時間半。とにかく遠いのだ。事業開発担当の山口豪志さん(30)は、
「意思決定者同士の打ち合わせがセットしにくいんです」
 徒歩圏内の渋谷ならば、声を掛けて30分もあれば打ち合わせを始められる。ベンチャーの強みであるスピード感は、“スープの冷めない距離”にいることで生み出される。
 ここで「あれ?」と、不思議に思う人もいるだろう。
「ITがあれば、北海道にいても、東京の会社と仕事ができるんでしょう」
「私、ノマドだけど、渋谷にいなきゃいけないの?」
 確かに、ITの進歩で自宅やカフェなど、オフィス以外でも仕事ができるようになった。ただ、事業連携やM&A、資金集めのようなベンチャーの成長を支える「中枢の仕事」は、メールだけでは難しい。そこでは、やはりアナログなフェース・トゥ・フェースが基本なのだ。

●2駅ルール、渋谷手当も

 物理的な近さは、心の距離も縮める。山口さんは、東京・品川エリアにあるパナソニックの拠点へ出向くと、「何か面白い仕掛けができないか」とデジタルカメラの販売促進策を持ちかけられ、ランサーズに登録するクリエーターからカメラの外装デザインを公募する案を思いついた。会社に戻って提案書をまとめ、翌日、再び訪問。わずか1週間で企画に合意した。
 パートナーが集まることで、ビジネス上のメリットが生まれる。これを経済学では「産業集積」という。例えば、トヨタ自動車の本社がある愛知県には、自動車の部品メーカーなど関連企業が集まる。愛媛県今治市では、タオルメーカーが力を合わせて「今治ブランド」を確立した。もっとも、それらが集積する目的は、コストダウンや効率化にある。産業集積を研究する中小企業基盤整備機構の柴山清彦さんは話す。
「渋谷のように、各事業者が成長しながら新たなイノベーションを生む例は、日本では珍しい」
 渋谷のITベンチャーは、社員の住む家も渋谷周辺に求めている。ブログサービスなどを提供するサイバーエージェントは、勤務先から2駅圏内に住む社員の家賃を補助する「2駅ルール」をつくった。社員専用のシェアハウスを渋谷に設け、近隣に住むことを勧める。別のIT系企業も、通勤手当より安いからと、会社近くに住む社員に「渋谷手当」なる家賃補助を支給する。

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